問題は抱えた時と同じ考え方でいる限り解決しない、とアインシュタインは言いましたが、確かにその通りだと思います。僕は強迫性障害を抱えていて、確認をするのをやめられず20年くらい経ちました。そしていまだに強迫観念に勝てていません。薬を飲んでいればだんだん良くなるだろうと楽観視していた部分もありますし、疲れ果てて病気と闘う気力がなかったというのもあります。今日まではまだいいか、明日からやろうと毎日同じ理屈で先延ばしにして、問題は解決することのないまま年月だけが過ぎて行きました。わかっているのに怖くてやめられないのが特徴の障害なので、見事にその症状にはまっているわけです。確認を続けて20年以上苦しむか、財産を全部失うとしても病気から抜け出すか、どちらを選んだほうが幸せなのか。結果として、僕は20年以上苦しむことを選び続けてきました。0か100か、みたいな極端な考え方も良くないのです。自分の思い込みで、自分を縛り続けてきました。これは自分でほどくしかありません。
仏教でも語られていますが、所有する苦しみというものがあります。手に入れたら、今度は失うことを恐れて不安になる。それは果たして幸せなのか。不安を生み出すものを手放すことは不安を手放すことでもあります。
僕らはなにひとつ持たずに生まれてきて、なにひとつ死後の世界に持って行けません。唯一残るものは思い出だと思います。楽しい思い出を作る時間、というのが僕の人生観です。永遠の静寂の宇宙に残り続ける思い出。つい、幸せな時間はずっと続いてほしいと欲張ってしまいますが、今日1日が良い日だったら、それでじゅうぶんだと思います。大切な人たちがいて、食事があって、穏やかな時間がある。
戦いはまだ続きますが、自分を苦しめる執着心を手放すことに粘り強く挑み続けようと思います。以前よりはずいぶん良くなっています。(関)
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